ボニー・プリンス・チャーリー
英国スコットランドのスチュアート王家はブルース王家に続く14世紀のロバート2世からはじまる王家でこのボニー・プリンス・チャーリーの弟ヘンリー・ベネディクト・スチュアートで直系は断絶しています。
1807年のことです。でも、彼等は王位にあったわけではありません。
兄弟の祖父カトリックの英国王ジェームズ2世は名誉革命によって王位を失います。王位はプロテスタントの娘達メアリー2世とウィリアム3世の夫妻、次にアン女王というように続きましたが、その後ドイツからハノーバーのジョージ1世が迎えられました。まったくの外国人でこの王様は英語さえよく理解しませんでした。アン女王には異母弟ジェイムズ・フランシス・スチュアートがいました。女王さえこの異母弟に心を傾けたくらいですからジャコバイト(スコットランドのスチュアート王家支持者)はいうにおよばず・・・ジェームズ3世(スコットランド王としてはジェームズ8世?)として擁立しようとする動きがありました。 1715年に実際その蜂起は起こりましたが失敗におわりました。
しかし、その30年後、彼の息子ボニー・プリンス・チャーリーが父の王位を奪回しようとしてスコットランドへ上陸しました。
彼の呼びかけで大勢の協力者もあつまりましたが、結局敵将カンバーランド公によってカロデンで大敗してしまいます。
ボニー・プリンス・チャーリーは協力者であるフローラ・マクドナルド
に助けられ、女装して命からがらフランスへ逃げのびたのでした。
この時、美男のチャーリーとフローラの間にロマンスが・・・という噂もあるようですが、婚約者のいたフローラです。単なる好意のみだったのだろうと思いますが、彼女がとても美人だったら・・・ちがっていたかも、ですね。
ちなみにチャーリーにはスコットランドで知りあった女性クレメンティナとの間に庶子、後のオルバニー公妃シャルロットという娘をもうけてます。彼はルイーズという女性と結婚しますが、離婚しています。(奥さんの浮気?)チャーリーには数人の子供がいますが、正式な結婚となると・・・マーガレットという女性との間には後の2代目オルバニー伯爵エドワード・ジェイムズ・スチュアートが生まれます。彼の血統が現代まで続いていまして、現当主は7代目のマイケルさんです。
弟のヘンリー・ベネディクトは聖職者であったためか子供はいません。ということで彼の代でスチュアート王家は断絶してしまいます・・・英国民にはいまだに人気の高いスチュアート王家です。悲劇の・・・とつけばなおさらでしょう。悲劇の女王メアリー・スチュアートやボニー・プリンス・チャーリーなど・・・なんといっても美形が多いというのもね。
追記:オルバニー伯爵とはフランスの爵位(?)のようですが、ボニー・プリンス・チャーリーはその初代の伯爵です。その娘のシャルロットは「princess Albany」とも「Duchess Albany」とも記されていますが、正確にはどちらなのかわかりません。
追記2:いやその・・・チャーリーは結婚した時に「Count of Albany」と名乗ったみたいなんですけど・・・Albanyって調べてみたらニューヨーク州の州都なんですよ。いったいどこから持ってきた称号なのか・・・ちなみに結婚後はフィレンツェに住んだようです。英国の伯爵は「Earl」ですよね、「Count」ですから他の国の伯爵らしいとは理解できますが、はたして承認されているのでしょうか・・・?
掲示板からのそのまんまコピペで申し訳ありませんが・・・
「オルバニー公という称号がスチュアート王家にも存在していたことがわかりました。スコットランド王ジェイムズ2世にはオルバニー公アレクサンダーという王子がいました。この家系はニ代で断絶していましたが、オルバニー公という称号は由緒正しい称号だったんですね・・・。ボニー・プリンス・チャーリーが勝手に名乗った称号じゃなかったんです・・・」
第一部・時の旅人クレア(アウトランダー・シリーズ)
ロマンス小説「時の旅人クレア」にボニー・プリンス・チャーリーが登場します。チャーリーに興味を持ったのもこの小説を読んでからなのです。最初はね、どうってことないかな・・・くらいにしか思っていませんでした。ベストセラー作家のリンダ・ハワードも絶賛したという小説ですが・・・1巻目を読んでも・・・どこが?どこがおもしろいの?
という感想しかもてませんでした。2巻目からはたしかにおもしろくなってきましたが、それでも・・・・ある時、海外サイトでファンサイトをみつけたのです。年代別のストーリーやキャラクターの紹介など・・・おおっ、なんとなく内容がわかってきました。日本で出版されている第一部3巻まではごく最初の物語で、これが何十年も続く大河ロマンだということが理解できました。(リンダの言葉は正しかった・・・)
ジェイミーとクレア
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