王家の庶子たち
またもやイラストを使いまわしてしまいましたが、まず、有名な二人の愛妾たちから生まれた庶子たちに
ついてお話します。このイラストは左がモンテスパン夫人、右がラ・ヴァリエール夫人のつもりで描きました。二人ともルイ14世の愛妾です。
ラ・ヴァリエール夫人には二人、モンテスパン夫人には四人の育った子供たちがいました。ラ・ヴァリエール夫人の息子ベルマンドワ伯はわずか17才で亡くなっています。娘の初代ブロア嬢はコンチ公ルイ・アルマン1世と結婚しました。しかし、子供が出来ませんでしたから、コンチ家は弟のフランソワ・ルイが
継ぎました。
モンテスパン夫人の長男メーヌ公は父王からも期待された出来のいい息子だったようで、公妃(ちなみにメーヌ公妃はコンデ公女です)の頑張りもあって嫡出子としてのお墨付きを貰いましたが、摂政時代になると、
ことごとく特権が剥奪されました。その摂政というのが、リーゼロッテの愛息子オルレアン公でした。彼はメーヌ公の妹フランソワーズ・マリー(ブロア嬢)の夫君です。このオルレアン公妃ブロア嬢は姑のファルツ公女リーゼロッテが泣き喚いて忌み嫌った嫁で
由緒正しい王族の息子の嫁になんで庶子なんか、と喚き散らしました。おまけに怠惰な性格で、宮廷の情報通でせっせといろんなところへいろんな手紙を書き送っていたリーゼロッテとは気が合いそうにありません。
姉にブルボン公妃となったナント嬢がいます。一番下の弟がトゥールーズ伯ルイ・アレクサンダーです。彼の息子がパンティエーヴル公でランバル公とフランス革命で刑死したオルレアン公(エガリテ)の奥方
ルイーズ・マリーという子供が二人います。このようにルイ14世の庶子たちは皆、それぞれ名門貴族と縁組しています。ルイ14世は嫡出子はひとりしかいませんでしたから、庶子にも随分期待していたのでしょうね。ちゃんと気にかけて行末まで気を配ってますよね。ラ・ヴァリエール夫人の血筋は絶えて
しまいましたが,憎まれっ子世に憚るといいますか、図太いモンテスパン夫人の血筋のほうは続くのですね。
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次は英国のチャールズ2世の愛妾だったバーバラ・ヴィリアーズとルイーズ・ルネ・ド・ケロアールの子供たちについてです。アンリ4世の愛人54人には負けますが、このチャールズ2世という王様もルイ14世同様に艶聞家としても有名です。
王妃キャサリンとは子供に恵まれませんでしたが、庶子の多さは群を抜いてます。そしてほとんど公爵の位を授けています。この愛妾たちも叙爵されています。
ルーシー・ウォルターとの間に出来た最初の子マンマス公ジェイムズを溺愛しました。しかし、後年このマンマス公は謀反の罪で処刑されています。でも、奥方のバクルー公位は継承されて現代まで続いています。
彼の妹メアリーの血筋は(彼女がまた後述のベリック公爵と縁続きなんですが)2代スペンサー伯夫人となったラヴィニア・ビングァムからスペンサー家へ継承されダイアナさんからウィリアム王子へと繋がってきています。ウィリアム王子へはマールバラ公家やジェイムズ2世とアラベラ・チャーチルからも
繋がるのですが、今回のこの二人、バーバラ・ヴィリアーズの息子グラーフトン公家とルイーズ・ルネ・ド・ケロアールの息子リッチモンド公家からも繋がります。
バーバラにはチャールズ2世との間に六人もの子がありました。男子はグラーフトン公以外にもサウザンプタン公とノーサンバーランド公も生まれましたが,後年このふたつの公家は断絶しました。女優ネリ・グィンからはセント・オールバンズ公チャールズとヘンリーの兄弟も生まれました。他にも
何人かの庶子がいました。息子たちよりその母たちの競争意識のほうが強かったようです。 |
忘れてはならないのが、今一番興味の対象であるベリック公爵でしようか。彼はチャールズ2世の弟ジェームズ2世とアラベラ・チャーチルとの庶子でした。ジェイムズ2世とアラベラ・チャーチルとの間には四人の子が生まれています。
その長子がベリック公爵です。残念ながら、ウィリアム王子への血統は彼の妹で長女のヘンリエツタ・ウォルグレイヴ伯妃のほうでした。ジェイムズ2世も兄チャールズ2世に劣らず愛人は多いです。アラベラの次に才女キャサリン・シードリーを愛妾にしました。ドーチェスター伯位を与えたこのキャサリンとの間にもキャサリンという娘が生まれています。
アラベラ・チャーチルとの間に生まれたベリック公爵ジェイムズ・フィッツジェイムズは後年優れた軍人となり、英国、フランス、スペインの3国の公位を合わせもつ家系となりました。スペイン系は後に名門アルバ公爵家14代目を継いで、現代まで続いてます。フランス系はフィッツジャーム家として存続しました。
これらの王様たちに限らず、王家にはたくさんの庶子たちがいます。ちょっと気になったのが、アンリ2世の庶子ディアーヌ・ド・フランスです。Filippa Duciという女性から生まれ、フランソワ・ド・モンモランシーと結婚し、アングレーム公妃でした。アンリ3世とアンリ・ド・ナヴァールとの間の連絡などでアンリ4世の時代になっても影響力を持っていた女性のようです。
アンリ2世にはマダム・フラミンというスコットランド王ジェームズ5世の庶出の娘である愛人からアンリという子も生まれています。デイアーヌ・ド・ポワチエに骨抜きにされていたと思っていましたたら、このアンリ2世という王様、結構いろいろ手を伸ばしていたらしいです。このマダム・フラミンはメアリー・スチュアートの異母姉に当たるのですね。まあ、年は親子ほど違いますが・・・。
姉が舅の子を産んだ、ということになりますか・・・。ちなみにこのスコットランド王ジェイムズ5世も庶子が多いですね。ルイ15世は「鹿の苑」なんていうハーレムを囲っていたので闇に葬られた子も多かったでしょうね。チューダー朝のヘンリー八世には、リッチモンド公ヘンリー・フィッツロイという庶子がいました。ポルトガルのジョアン1世やナポリのフェルナンド1世のように庶子で王様になった例もあります。
ああ、そうそうカスチリアのペドロ1世を殺した憎っくきエンリケもそうでした。
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